「リリースされない神ゲーより、リリースされたクソゲーの方が価値があります」の補足

はじめに

先日投稿した『初作品リリースまでに6年かかった僕が教える、ゲームを完成させる方法』に多くの反応を頂いた中、

リリースされない神ゲーより、リリースされたクソゲーの方が価値があります

という発言が独り歩きしている感じがしたので、この記事ではその補足をします。

いただいた反応の抜粋

Twitterで「リリースされたクソゲー」「リリースされない神ゲー」を調べた結果、色々な反応がありました。

一部抜粋するとこんな感じです。

  • 「そもそもリリースされない神ゲーとは?」
  • 「リリースされたクソゲーは害悪」
  • 「リリースされていないけど注目されるゲームの方が価値がある」
  • 「リリースするかもしれない神ゲーもある」
  • 「リリースされたからクソゲー、リリースされてないから神ゲーもあるのでは」

当発言の整理

当発言の内容について、定義が曖昧で伝わり切っていなかった部分があったので、そこの整理を行います。

「リリースされない神ゲー」とは?

「リリースされない神ゲーとは?」と困惑している人がいましたが、おそらくプレイヤー視点の人だと思います。

これはゲーム開発者視点の言葉です。

リリースされない神ゲーとは、「ゲーム開発者やテストプレイヤーはゲームの楽しさを認識できるけど、多くの一般プレイヤーはそれを認識できないゲーム」のことを指しています。

それと、神ゲーという言葉を使いましたが「プレイすると楽しいゲーム」という認識でOKです。

ゲームの価値は複数ある

当発言に対しての反応を見て、ゲームには複数の価値があることが分かりました。

ゲームの価値は大きく分けて、このように分類できます。

ゲームとしての価値ゲームとして遊んだ時の価値。一般的に想定されるゲームの価値はこれです。
経験値としての価値ゲーム開発者の経験値としての価値。
芸術としての価値ゲームのビジュアルが評価されたときの価値。
エンタメとしての価値リリースされるのが待ち遠しかったり、皆で盛り上がったりするときの価値。

当発言にあった反応の多くで語られている「価値」はこのどれかに割り当てられます。

賛否両論が発生したのは、「当発言での価値が、どの価値の種類を指しているか」が曖昧だったからでしょう。

当発言の真意

リリースされない神ゲーより、リリースされたクソゲーの方が価値があります」ですが、

この発言は基本的に、

  • 「ゲームを永遠に作りこんでしまってゲームをリリースできない人」
  • 「自分のゲームに自信が持てなくてリリースを躊躇している人」

これらの創作者を後押しするための言葉です。

それが想像以上に拡散されてゲームのプレイヤーにも認識された結果、「価値」の齟齬が発生して賛否両論を呼んだようです。

なので改めて、発言が独り歩きしても大丈夫なように表現すると、

リリースされないゲームは、ゲームとしての価値が評価されることはない

というのが適切かな、と思います。

当発言での「価値」の意味

当発言の中での「価値」の意味は「ゲームとしての価値」と「経験値としての価値」の2つがあります。

「ゲームの価値の種類」なんて考えずに書いていたので、2つの意味が混ざって曖昧になってしまいました。

以下では、当発言での「価値」の意味について具体的に書き記していきます。

ゲームとしての価値

1つ目の意味は「リリースしないと、ゲームとして評価されないぞ」という意味です。

ゲーム開発者界隈のTwitterを見ていると、「Twitterで見たあの開発中のゲーム、ビジュアルとか技術とか良かったけど、全然見なくなったな…」という経験をすることがあります。

これらは「芸術としての価値」や「エンタメとしての価値」はあるけど、「ゲームとしての価値」はないです。

なぜなら、ゲームとしてプレイヤーを楽しませることができないからです。

すでに発表されていて、これからリリースされるであろうAAAゲームに関しても同じです。

遊べない限り、「ゲームとしての価値」はないです。

リリースされて、遊べるようになって、そこで初めて「ゲームとしての価値」が生まれます。

それは、当発言の反応にもあった「リリースされたからクソゲー」「リリースされてないから神ゲー」が示しています。

リリースされないゲームは、ゲームとしての価値が評価されることはないです。

「リリースした時の価値」を否定したわけではない

当発言を見て、若干気分を悪くしたゲーム開発者を見かけました。

「お前が長らく作っていて、全くリリースされないゲームには価値がない」と言われたように感じたのかもしれません。

ただ間違えてほしくないのが、「リリースした時の価値」を否定したわけではないということです。

Twitterで見かけなくなったゲームも、どこかで誰かが作っているゲームも、遊べるようになれば「ゲームとしての価値」が生まれます。

そして僕は、個人開発者が「○年かけてリリースしました!」というゲームも見てきています。そういうものは、だいたい完成度が高くて評価されます。

それと同じように、もしゲームをリリースできる自信があるなら、何年でも作りこんでリリースして、ゲームとしての価値を示せばいいと思っています。

経験値としての価値

2つ目の意味は「リリースしないと、ゲーム開発者として成長しないぞ」という意味です。

当発言の反応には以下のようなものがあります。

  • 「リリースされたクソゲーは害悪」
  • 「リリースされたクソゲーは金と時間を奪う」

確かにそうです。

ゲーム開発者にとって価値があっても、プレイヤーにとって価値がないどころか、マイナスになることだってあり得ます。

「プレイヤーにクソゲーを遊ばせるのが嫌でリリースを渋る」というゲーム開発者も見受けられました。

しかし、それでもリリースするべきだと僕は思っています。

最初は誰だって初心者だからです。

ゲームを遊んだり、面白いゲームの作り方を読んだりで、少しは「面白いゲームがどういうものか」が分かるかもしれませんが、これは血の通っていない知識です。

例えば競技ゲームで、ゲームの勉強をしたり、プロゲーマーの動画を見ても、実際に上手く出来るようになるわけではありません。

出来る気になるのではなく、経験する必要があります。

ゲーム開発も同じです。面白いゲームを遊んだり、面白いゲームの作り方を読んでも、皆が遊ぶような面白いゲームをいきなり作れるわけではありません。

一度リリースしてみて、プレイヤーの反応を見る必要があります。

そこでようやく「何がダメで、何が良かったのか」という血の通った知識を得ることができ、ゲーム開発者として成長します。

面白いゲームを作れるようになるためにも、ゲームはリリースした方がいいです。

おわりに

補足は以上です。

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「「リリースされない神ゲーより、リリースされたクソゲーの方が価値があります」の補足」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 初作品リリースまでに6年かかった僕が教える、ゲームを完成させる方法 | Makihiroのdevlog

  2. ピンバック: 20日間で作るノベルゲーム制作日記 | Dream Tale

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